渋沢栄一)NHK大河ドラマ「青天を衝け」スポットまとめ

渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館

期間限定で運営していた「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」が2022年1月10日をもちまして閉館してしまいましたので、「青天を衝け」の聖地をまとめました。

激動の時代を生き抜いた渋沢栄一の行動範囲は広く、出身地の血洗島(埼玉県深谷市)以外にもスポットが目白押しです。
私は歴史学者では無いのでざっくりとした説明になりますが、ドラマの興奮冷めやらぬ中、婚活デートにご活用ください。

※時代によらず、渋沢栄一・渋沢喜作で名前を統一しています。

渋沢栄一について学ぶことができる施設

渋沢栄一生誕の地、埼玉県深谷市にある「渋沢栄一記念館」が、渋沢栄一邸があった東京都北区の飛鳥山公園には「渋沢資料館」があり、それぞれ、渋沢栄一について学ぶことができる施設となっています。

埼玉県)渋沢栄一記念館

アクセス:JR 深谷駅からタクシー 約16分

東京都)渋沢史料館

アクセス:JR京浜東北線王子駅南口下車 徒歩 約5分

渋沢栄一「青天を衝け」聖地紹介

ここからは出来るだけ時系列に「青天を衝け」の聖地をご紹介させていただきます。それぞれのスポットについてはリンク先の動画をご覧になる事をお勧めします。

埼玉県)旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

埼玉県深谷市にある渋沢栄一が生まれた家で、23歳までをこの家で過ごしていました。

アクセス:JR深谷駅からタクシーで約20分

埼玉県)諏訪神社(血洗島)

青天を衝けで少年期の渋沢栄一が獅子舞に興じていた神社です。竜頭形をした隠居獅子が特徴で、現在も実施されています。

アクセス:JR 岡部駅からタクシー 約12分

埼玉県)尾高惇忠生家

渋沢栄一の従兄であり、学問の師でもあった尾高惇忠の生家です。後に、横浜の外国人居留地襲撃について話し合った部屋が残されています。「青天を衝け」内では「ジュンチュウ」と呼ばれていましたが、「アツタダ」と読まれるのが一般的なようです。

アクセス:JR深谷駅からタクシーで約15分

茨城県)弘道館

竹中直人さん扮する水戸徳川家の徳川斉昭が設立した藩校で、武芸と学問を幅広く教えていたと伝えられます。青天を衝けで序盤の鍵となる「尊王攘夷思想」はここから生まれたとされます。

アクセス:JR水戸駅北口から徒歩8分

東京都)小石川後楽園

現在の東京ドームの隣、「黄門さま」で知られる水戸光圀公が造った水戸徳川家、江戸屋敷内の庭園で、最後の将軍となる徳川慶喜はここで生まれたそうです。

アクセス:JR総武線「水道橋」(JB17)西口から徒歩5分

東京都)一ツ橋

徳川慶喜が養子に入った徳川御三卿の一つ「一橋家」はこの一ツ橋に邸宅を構えていたとされます。名前の関連が複雑ですが、先に「一ツ橋」があり、そこに創設されたのが「一橋徳川家」のようです。ちなみに、一橋大学は現在の国立に移転する前にこの辺りにあったと言われます。

アクセス:東京メトロ東西線 竹橋駅1b、3b出口より徒歩3分

埼玉県)鹿島神社

尾高惇忠や渋沢栄一が剣術の稽古に励んだ道場は、この鹿島神社の近くにあり、境内で試合に臨んだとされます。

アクセス:JR 深谷駅からタクシー 約15分

静岡県)玉泉寺・ハリス記念館

日米和親条約によって開港された下田。初代駐日領事に任命された「タウンゼント・ハリス」は玉泉寺に領事館を構えました。ハリスは日米修好通商条約を締結し、江戸に移動するまでの約3年をここで過ごしたとされます。
当初は開国に否定的だった渋沢栄一も、後にハリスの功績を讃え記念碑を建立。史跡保存の為に、玉泉寺の茅葺屋根を銅板葺に替えています。

アクセス:伊豆急下田駅より徒歩 約25分

長野県)内山峡・渋沢栄一詩碑

渋沢栄一は藍玉を売るために上州や妙義山を越えて信州へと旅をしていました。内山峡を通過した際に詠んだ漢詩が地元の人々によって碑にされたのが「渋沢栄一詩碑」です。そこには「衝青天」と書かれており、これが大河ドラマ「青天を衝け」の題名になったそうです。

アクセス:JR 中込駅から 約6km

滋賀県)埋木舎(彦根城)

開国に大きな影響を与えた井伊直弼が生まれ育ったのは、長年井伊家が治める滋賀県彦根市でした。井伊直弼は彦根城に隣接した「埋木舎(うもれぎのや)」で禅や能などの修練にいそしんだとされます。

アクセス:JR 彦根駅から徒歩 約15分

東京都)旧江戸城 桜田門

朝廷の勅許無しで日米修好通商条約を締結した、当時大老だった井伊直弼が水戸脱藩浪士らに斬られた場所です。(桜田門外の変)

アクセス:東京メトロ 有楽町線「桜田門」下車 徒歩すぐ

東京都)豪徳寺

井伊家の江戸の菩提寺で、桜田門外の変で斬られた井伊直弼はここに埋葬されています。

アクセス:東急世田谷線「宮の坂駅」から徒歩5分

滋賀県)天寧寺(五百羅漢)

井伊直弼が埋葬されたのが、東京の豪徳寺であるのに対し、遺品は地元である彦根市の天寧寺に持ち帰られており、境内には井伊直弼公供養塔が築かれています。

アクセス:JR琵琶湖線彦根駅から近江バス天寧寺口下車、徒歩3分

滋賀県)草津宿 本陣

青天を衝けで、公武合体の象徴として泣く泣く14代将軍・徳川家茂に嫁ぐ「和宮(かずのみや)」が京都から江戸の道中で立ち寄った宿(本陣)です。現存する「本陣」としては国内最大級で、国の史跡に指定されています。

アクセス:JR琵琶湖線 「草津」 下車 徒歩 10分

京都府)東本願寺

14代将軍・徳川家茂の後見職に就任した徳川慶喜が、京都に入った際に滞在したお寺が東本願寺です。

アクセス:JR京都駅より徒歩7分

群馬県)高崎城址

渋沢栄一達は高崎城を乗っ取って足掛かりとし、横浜の外国人居留地を焼き討ちしようとしていました。
尾高長七郎の説得により、未遂に終わっています。

アクセス:JR高崎線高崎駅より徒歩 約15分

京都府)京都御苑

京都御所を囲む国民公園で、長州藩と慶喜を中心とした幕府軍が市街戦を繰り広げた「禁門の変」の舞台でもあります。慶喜の弟、徳川昭武が滞在した水戸藩邸は西側にある蛤御門近くにあり「禁門の変」で焼失しています。

アクセス:市営地下鉄烏丸線 丸太町駅下車 間之町口まで徒歩5分

大阪府)天保山台場跡(天保山公園)

渋沢栄一が台場について学んだ薩摩藩士の砲術家、折田要蔵。折田要蔵が滞在した旅館「松屋」方面に続く安治川の海防の要として、天保山公園には台場が築かれていたと言います。

アクセス:大阪メトロ中央線 大阪港駅から徒歩 約5分

兵庫県)湊川神社

南北朝時代、湊川の戦いで自害し、尊王思想に大きな影響を与えた楠木正成を祀る湊川神社の建立については、数々の藩から個別の請願が有ったものの、朝廷から許可されず、国民の総意として創建され、折田要蔵が初代宮司になったとされます。

アクセス:JR神戸線「神戸駅」から北へ徒歩 約3分

東京都)湯島聖堂

渋沢栄一を一橋家家臣に抜擢した平岡円四郎は湯島聖堂内にあった、幕府直轄の昌平坂学問所にて学んだとされています。湯島聖堂は関東大震災にてほとんどが焼失されましたが、再建・復興には渋沢栄一が関わっています。

アクセス:JR御茶ノ水駅 徒歩2分

茨城県)筑波山神社

天狗党の中心人物、藤田小四郎(徳川斉昭の側用人であった藤田東湖の四男)が挙兵したのが筑波山神社で、その後、京都を目指して西進する中で血洗島を通過したとされています。

アクセス:つくば駅から筑波山シャトルバス 約40分

兵庫県)姫路城

財政を豊かにすることで一橋家を支えようとする渋沢栄一は、姫路藩、播磨の一橋領内で生産される木綿に着目。木綿をまとめて買い取ることで、その価値を高めたと言われます。

アクセス:姫路駅北口から神姫バス乗車「大手門前」下車徒歩5分

京都府)壬生寺

慶喜が徳川宗家を継いだことで幕臣となった渋沢栄一は新選組副長・土方歳三と出会います。
新選組は壬生寺の周辺に駐在し、壬生寺の境内で訓練をしたとされ、壬生塚には新選組隊士が祀られています。

アクセス:阪急電鉄京都本線「大宮駅」・京福電気鉄道嵐山本線「四条大宮駅」から徒歩 約7分

京都府)西本願寺

隊士が増えた新選組は壬生寺から西本願寺へ屯所を移転しています。

アクセス:●京都駅 市バス『京都駅前』より9番,28番,75番(西賀茂車庫行など)に乗車、『西本願寺前』で下車

兵庫県)亀山本徳寺

新選組が駐在していた西本願寺の建物は、現在、兵庫県の亀山本徳寺に本堂として移築されています。

アクセス:JR姫路駅(在来線・新幹線)南口下車・駅前よりタクシー10分

京都府)本圀寺

禁門の変で京都御苑、蛤御門近くにあった水戸藩邸を失った徳川昭武は、本圀寺に逗留したとされます。

アクセス:京都市営地下鉄東西線「御陵」駅下車(2番出口) 徒歩 約10分

東京都)旧江戸城 清水門

徳川昭武は御三卿の一つである清水徳川家の相続を命じられ、将軍の名代としてパリ万国博覧会に派遣されます。
清水徳川家の屋敷は清水門の近く、日本武道館の辺りにあったとされます。

アクセス:各線 九段下駅 4番出口より徒歩5分

千葉県)戸定邸(とじょうてい)

戸定邸は水戸藩最後の藩主となった徳川昭武が建てた邸宅で、戸定歴史館にはパリ万博に参加する前に慶喜から贈られた陣羽織が残されています。

アクセス:JRまたは新京成線「松戸駅」東口下車徒歩約10分

京都府)岩倉具視幽棲(ゆうせい)旧宅

尊皇攘夷派から朝廷を追われた岩倉具視が5年に亘って幽棲していた邸宅です。

アクセス:地下鉄烏丸線国際会館駅から京都バス24系統で終点「岩倉実相院」下車 南へ3分

東京都)寛永寺(根本中堂)

大政奉還の後、徳永義信が謹慎をしたのが、当時、上野恩賜公園の大部分を境内としていた寛永寺でした。
渋沢喜作が参加した彰義隊(しょうぎたい)が慶喜を警護する為に上野に集結し、彰義隊と新政府軍による上野戦争が起きました。

アクセス:JR山手線 鶯谷駅南口から徒歩 約10分

東京都)円通寺

上野戦争で壊滅した彰義隊の亡骸を供養したのが、少し離れた南千住、円通寺の住職で、円通寺には「彰義隊戦死者の墓」と寛永寺から移築された弾痕が残る「黒門」があります。

アクセス:都電荒川線 三ノ輪橋駅から徒歩 約3分

埼玉県)能仁寺

彰義隊から分裂した渋沢喜作が率いる振武軍(しんぶぐん)は飯能にある能仁寺を本営としました。
振武軍と新政府軍による飯能戦争により、能仁寺はほとんどの建物が焼失。現在の本堂は昭和11年に再建されたものです。

アクセス:西武池袋線「飯能駅」北口から 約20分

埼玉県)渋沢平九郎自決の地

渋沢栄一のパリ渡航時に義理の息子となった渋沢平九郎は振武軍に参加しており、飯能戦争で散り散りとなった末、新政府軍と鉢合わせ、この地で自決をしています。

アクセス:各線 越生駅 西口より川越観光バス 黒山行き「黒山」下車徒歩5分

静岡県)駿府城公園

明治維新後、家康ゆかりの地である静岡が徳川宗家の領地と定められ、慶喜や幕臣が移り住みます。

アクセス:JR 静岡駅から徒歩約15分

静岡県)宝台院

宝台院は慶喜が謹慎したお寺です。パリから戻った渋沢栄一はここで慶喜と再会を果たします。

アクセス:JR 静岡駅 から徒歩 約10分

北海道)五稜郭跡

飯能戦争で官軍に敗れた渋沢喜作は榎本武揚率いる旧幕府軍・土方歳三率いる新選組らと合流しながら蝦夷の地へ。五稜郭を占拠して函館戦争を戦いました。

アクセス:JR函館駅から市電「函館駅前」~「五稜郭公園前」下車、徒歩約15分

東京都)大隈庭園

新政府への参加を求められた渋沢栄一は駿府の財政を立て直す為に断ろうとしましたが、大隈重信に言い負かされた挙句、慶喜の命もあり、東京に移りました。

アクセス:東京メトロ東西線 早稲田駅から徒歩 約4分

静岡県)徳川慶喜公屋敷跡

渋沢栄一が東京に移った後、宝台院での謹慎を解かれた慶喜は、ここに移り住み、絵画や写真撮影などの趣味に没頭したとされます。

アクセス:JR静岡駅より 徒歩5分

東京都)鉄道歴史展示室・旧新橋停車場

新政府に参加した渋沢栄一は、様々な事業に関わっていきます。旧新橋停車場は新橋・横浜間に鉄道を引く基点となりました。

アクセス:JR新橋駅「銀座口」より徒歩5分

東京都)郵便発祥の地(現・日本橋郵便局)

晴天を衝けで飛脚制度から郵便事業への転換を発議した前島 密(まえじま・ひそか)は現在でも1円切手の肖像となっています。

アクセス:各線 日本橋駅 から 徒歩 約2分

群馬県)富岡製糸場

輸出する生糸の質を上げる為に渋沢栄一は郷里に戻っていた尾高 惇忠を説得。惇忠は富岡製糸場の初代所長になりました。そして、工女が集まらなかった際には長女の勇(ゆう)を初代工女にしています。

アクセス:上州電鉄 上州富岡駅 徒歩 約10分

東京都)銀行発祥の地(現・みずほ銀行兜町支店)

日本最初の銀行・第一国立銀行は現在のみずほ銀行兜町支店の場所に設立されました。今も支店の壁には記念碑があります。

アクセス:各線 茅場町駅・日本橋 から 徒歩 約4分

東京都)渋沢栄一旧邸跡(現・日証館)

渋沢栄一は第一国立銀行の近くに現存する日証館に住みました。

アクセス:東京メトロ日比谷線・東西線「茅場町」駅徒歩5分

東京都)東京証券取引所

渋沢栄一等を発起人として創立された「東京株式取引所」も兜町にあります。

アクセス:東西線 茅場町駅(出口11) 徒歩5分

鹿児島県)南洲神社

西郷隆盛は明治政府と戦った西南戦争にて、自刃。2,000人以上の仲間達と共に眠る南洲墓地には参拝所が設けられ、南洲神社となりました。

アクセス:各線 鹿児島駅から 約1km

東京都)大久保利通公墓所(青山霊園)

西郷隆盛の死から間もなく、暗殺された大久保利通は青山霊園に埋葬されています。

アクセス:東京メトロ銀座線外苑前駅から徒歩7分

東京都)東京商工会議所

渋沢栄一は東京商法会議所を設立し、初代会頭を務めています。現在の東京商工会議所です。

アクセス:東京メトロ千代田線「二重橋前〈丸の内〉」駅直結(B5出口)

大阪府)大阪商工会議所

「東の渋沢、西の五代」と呼ばれた五代友厚は大阪商法会議所を設立。現在の大阪商工会議所です。

アクセス:地下鉄堺筋線 堺筋本町駅より徒歩7分 (12番出口)

東京都)飛鳥山公園(旧渋沢庭園)

渋沢栄一が終の棲家として邸宅「曖依村荘(あいいそんそう)」を構えたのが飛鳥山公園ですが、曖依村荘は栄一の没後に空襲で焼失。現在は焼失を免れた「晩香盧(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」新設された「渋沢資料館」があります。

アクセス:JR京浜東北線「王子駅」(中央口か南口)から徒歩すぐ

東京都)東京都健康長寿医療センター

渋沢栄一が初代院長を務め、妻、千代が手伝った養育院の流れをくむ医療施設です。

アクセス:東武東上線「大山」駅下車、南口・北口より徒歩4分

高知県)岩崎弥太郎生家

晴天を衝けで渋沢栄一と競った三菱の創業者であり、貧しい土佐藩士の家に生まれた岩崎弥太郎の生家は高知県に保存されています。

アクセス:土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅より車で約10分

大阪府)土佐稲荷神社

土佐藩邸にあったとされる土佐稲荷神社は岩崎弥太郎に譲渡された後、現在も三菱グループの守護神となっています。

アクセス:各線 西長堀駅 徒歩3分

東京都)清澄庭園

岩崎弥太郎が社員の慰安の為に東京に造成した回遊式庭園です。

アクセス:都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」(E14・Z11)駅下車 徒歩3分

東京都)上野東照宮

日光へのお参りが困難な江戸の人々の為に建立された上野東照宮には、家康・吉宗・慶喜が鎮座しています。

アクセス:各線 上野的から徒歩 約7分

東京都)渋沢喜作邸跡(八芳園)

「渋沢商店」を立ち上げた渋沢喜作は財界を引退後、白金に移り住みました。現在の八芳園です。

アクセス:各線 白金台駅 徒歩1分

東京都)渋沢栄一・千代の墓・徳川慶喜公墓所(谷中霊園)

東京に移り住んだ徳川慶喜、渋沢栄一・千代は台東区の谷中霊園にあります。

アクセス:JR・京成線日暮里駅から徒歩6分

さいごに

余談ですが、日曜劇場「JIN -仁-」と時代背景が被っている為、両方見る事で理解が進むと思います。
各種VODサービスで見る事ができますので、是非、ご覧ください!

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